漁師さんと気仙沼

気仙沼は昔から、遠洋漁業の基地として栄えてきました。

常にフロンティアスピリットをもち
大きな船で世界の荒海を乗り越え
地球の反対側まで出かけ、漁を続けてきました。
「世界の漁場はオレたち日本の漁師が開拓したようなものなのよ」
とやさしい笑顔で漁師さんが話してくれました。

輸入品の少なかった時代、
気仙沼ではどこの家庭にも、漁師さんが持ちこんだ
ウィスキーやマヨネーズ、インスタントコーヒーがあり、
フラメンコの人形がありました。
ラス・パルマス、ケープタウン、アイルランド…、
世界の地名が飛び交い
漁をささえる気仙沼の人たちも、その家族も
世界の海のなかでくらしてきたのです。

気仙沼の人たちは、
自分たちが世界に出ていくだけではなく
いろいろな地域の人たちを迎え、送り出してきました。
とりわけカツオやサンマ漁の季節になると
日本各地のたくさんの船が気仙沼港に入ってきます。
「気仙沼ほどあたたかい町はないよ」と漁師さんはいいます。

大漁のこともあれば、まったく魚と会えない日もある、
そんな産業が中心にあるまちが気仙沼です。
不確実性をのみこんで自分の信じることをする
海とともに生きるまちは「胆力」をもつ人たちであふれています。
海よりも深く、やさしく、
そして、豪快で、ほがらかなまちです。

(気仙沼漁師世界地図より)

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